[今日の三宅しんご]
震災から3年の歳月が経った今こそ、東北電力という会社の実像をレポートし、多くの人に人と会社と社会の関わりについて考えてもらいたい--。
ノンフィクション作家、町田徹の渾身の新刊『電力と震災---東北「復興」電力物語』(日経BP社・2014/2/24刊)。
連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーと闘った男として知られる白洲次郎。東北電力の初代会長でもあり、同社は創業理念をDNAとしてきっちり受け継いだ電力会社のようです。
2011年3月の東日本大震災の直後、私は友人と、無謀にもTシャツ、トレーナー姿で東京電力福島第1原発を目指し、津波で変わり果てた浜街道を北上したことがあります(写真2枚目)。
そのとき、近くの東北電力・女川原発などが安全に自動停止したのに、なぜ福島第1だけが事故を起こしたのかと不思議に思ったものです。
町田によると、「昭和の初め、この会社は「東北振興電力」として誕生した。その社名には、戊辰戦争以来、国策から取り残されてきた「みちのく」(道の奥)の起死回生の礎になるという使命が込められていた。戦争に水を差されたが、そのDNA(遺伝子)は、財閥解体に伴う第二の創業期に確立された。それを会社にしっかり埋め込んだ」のが白洲次郎と、東北出身の初代社長に就いた内ケ崎。「二人が中心になって育んだDNAは、東日本大震災との困難な闘いを支える原動力になった」と指摘する。
どの電力会社も東京電力と同じ体質ではないのか?
そんな疑問に対し、町田は「東北電力に関しては、そうした見方は的外れと言わざるを得ない」という。
町田は「原発がなければ電気が不足するという議論が虚構であることはすでに明白になった。とはいえ、アベノミクスに伴う円安誘導もあって、代替の原油や天然ガスの輸入コストが急騰しており、国際収支の観点からも、電力会社の経営の観点からも、そして企業の国際競争力や人々の暮らしという観点からも、即時原発ゼロが現実的な選択肢とは言い難い面がある。
今こそ、日本には、リアリティのある戦略が必要だ。(略)電力会社ならば、すべて信用できないとか、原子力発電所はすべて危険だという思い込みとの訣別が、その第一歩になる」と結ぶ。 (写真2枚)