三宅しんご

香川県 参議院
選挙区 第二支部長
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自民党

活動報告

集団的自衛権

 [今日の三宅しんご]


自民党で集団的自衛権などに関する議論が再スタートしました。本日午後には自民党本部で安全保障法制整備推進本部(本部長・石破茂幹事長)の初会合が開かれ、高村正彦副総裁が「私見」として講演されました。以下は講演とそれに対する質問への回答の要旨です。
  「立憲主義とは憲法が権力を縛ること。日本国憲法は立憲主義のために三権分立とし、憲法の番人を最高裁判所とした。
  その最高裁は砂川事件の大法廷判決(注1)において、個別自衛権、集団的自衛権の区別をせず、国の平和、国の存立を守るため、固有の権利として自衛権を持つとした。これが最高裁が自衛権について述べた唯一の判決であり、この法理を超えた判断はできない。
  この法理の中でなら判断ができることになり、これまで内閣法制局、政府は「必要最小限」の自衛権を認めてきた。「必要」も「必要最小限」も大差はない。
  第三国による日本への攻撃に備えて、米国の艦船が警戒行動をしている際、第三国が米国艦船に攻撃をしてきたとき、米国の艦船を日本が守らないとどうなるか。血を流した米国はもう日本を守ってくれないのではないか。
  我が国の存立を全うするために、「必要最小限」のことはなし得るのであり、そのなかに集団的自衛権の一部も入るのではないか。
  一方で、これまで政府が集団的自衛権の行使はできないと言ってきたのに、どうして今度は認めるのかという意見も党内にある。ただ、国の存立を全うするための必要最低限の自衛権の行使はできるのであり、これが憲法解釈だ。つまり、必要最小限の枠内での解釈変更である。前の内閣と違う判断をしてもおかしくはない。
  現に、かつて吉田茂首相はいずれ国連軍ができて日本を守ってくれるという期待をもって、自衛権の行使が認められないと言った。しかし、その後、政府は自衛隊も作り、自衛権もあるというコペルニクス的大転回を既にしている。
  集団的自衛権を幅広く認めるということであれば憲法改正が必要であるが、「必要最低限」の枠内であれば(コペルニクス的大転回に比べれば)小さな解釈の変更である。
  自衛隊を作ったとき、安保条約を改定したとき、PK法のときも最初はいつも反対が多かった。ユートピア的平和主義者は(集団的自衛権の行使を認めることなどによって高まる)抑止力の必要性を軽くしか認めない。抑止力を認める人が現実的平和主義者ではないのか。
  政治家の最大の義務は国、国民の平和的生存権を守ることだ。「必要最小限」の中身は状況によって変わる。「必要最小限(の制約)」をとっぱらうのであれば、憲法改正が必要だ。
  憲法九条二項はそもそも間違い。憲法前文は抑止力を前提にしていないし、九条二項は抑止力を否定している。だから私たちの先輩が大解釈改憲をやってくれたのだ。一番大事なことは、それぞれの人が国の存立を全うするために何が必要かを考えることではないか。」
     
(注1) 砂川事件(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反事件)最高裁大法廷判決より:「九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」(昭和34年12月16日)

  10年ほど前、日本経済新聞の政治部に所属していた私は高村代議士の番記者でした。先生の発言メモを起こすのはそれ以来のことで、当時のことをいろいろ思い出しながら、これを書いております。
  集団的自衛権について私自身は以下のように考えており、先週の3月26日、参議院・政策審議会の勉強会の席上でも、同趣旨の発言を致しました。
  「憲法の番人である最高裁は、砂川事件の大法廷判決において、自衛権を認めた。この判決を含め我が国の司法判断において、集団的自衛権の行使を現行憲法が排除しているとするものも見当たらない。
  我が国政府は集団的自衛権の行使が認められないと解したことがある。現在も続く、この政府見解以外が過去の司法判断に照らして認められないものではない。つまり、一定の範囲で集団的自衛権の行使が現下の安全保障環境では認められるとする政府見解も法的には可能である。
  憲法改正に向け最大限努力する必要もある。集団的自衛権の行使が可能であることが分かりやすく、明確に読み取れるよう第9条の文言の変更をする努力である。集団的自衛権の行使が認められていることを確認するための規定であり、改正によって新たに集団的自衛権の行使を可能とするような条項を創設するとの趣旨ではない。この努力を十分にせず、政府見解の変更に突き進むことは避けるべきである。「憲法の空洞化」などといった無用の批判を招くことになりかねないからだ」
  簡潔にいうと、「嘘も方便」のようなアクロバティックな九条解釈はそろそろ止めにするべきですが、現下の情勢ではそれも仕方ないということかもしれないということです。

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