プロフィール
自由民主党 参議院議員
香川県参議院選挙区第二支部 支部長
参議院における役職等一覧(令和6年3月現在)
外交防衛委員会
前職
2012年8月まで日本経済新聞の編集委員
(証券部兼政治部・法務報道部)
生年月日 | 1961年11月24日生 |
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出身地 | 香川県さぬき市末(旧大川郡志度町末) |
趣味 | カラオケ |
座右の銘 | 「あなたが変われば世界が変わる」 |
家族 | 妻と子ども3人 |
〈山村の分校ではガキ大将〉
1961年、香川県さぬき市末の農家の生まれ。夜なべ仕事をする両親の背中を見て育つ。志度小学校は末分校に通い、ガキ大将として山里を駆け回る。 5年生からは自転車で峠を下り、八栗の五剣山と瀬戸に浮かぶ小豆島をみながら志度小学校の本校に通学。
志度中学では柔道部などに所属。卒業時158センチと小柄ながらも黒帯取得、現在は178センチ。 藤井学園寒川高校に半年ほど通い、その後、新聞配達をしながら受験勉強。
1978年、香川県立高松高校に1年遅れで入学。サッカー部のゴールキーパーとして香川県大会、四国大会の決勝戦に出場したものの優勝は成らず、いつも悔し涙。82年に早稲田大学政治経済学部・政治学科に入学、サッカーを続ける。
志度小学校 末分校 入学時 |
高松高校サッカー部時代 (左から2番目) |
〈新聞記者として〉
1986年、日本経済新聞社に入社。日本企業の生産現場を毎日のように取材して歩く。
1989-90年、米ニューヨーク市のコロンビア大学に留学。その後、日本経済新聞社に復帰。
1993-95年、再び記者を休職して東京大学・大学院 法学政治学研究科に入学。95年、修士論文を出版し日本経済新聞社に復帰。企業や経済産業省、公正取引委員会、法務省、金融庁など中央官庁を取材し、生きた日本経済の最前線を日々学ぶ。
2002年に政治部に移り、さらに視野を広める。
2003年-2012年8月の退職まで、ベテラン記者職である編集委員を務め、経済成長を促す様々な制度改革を提案。一方で、「知財戦争」(新潮新書)、「乗っ取り屋と用心棒」(日本経済新聞出版社)などを出版、経済法制ジャーナリストという新しい地平を拓く。
長年のジャーナリスト経験を通じて、企業だけでなく中央官庁、政界などに豊富で幅広い人脈を築く。
〈批判より行動を選ぶ〉
批判や提言する立場から、自らの手で讃岐そして日本の課題を解決する道を決断。2012年8月に日本経済新聞社を退社し、自由民主党香川県連の参議院選挙に向けた公募手続きに退路を絶って応募。5人が応募した選考会を経て、同年9月に香川県参議院選挙区第二支部長に就任。
自由民主党 安倍総裁と |
自由民主党 石破幹事長 とともに街頭演説 |
街頭演説(高松・三越前) |
まんのう町 川上板金工業所 の皆さまと |
引田漁港 養殖業の皆さまと |
日本社会に元気を呼び戻す「心の持ちよう」と「仕組み」。規制や管理、制約に捕らわれすぎて、「社会にとってこれは良い!」と思っても、なかなか実行にうつせない風潮が高まってしまった日本の社会。
「これは社会のためになる。」本当にそう思えば、許可をとろうと思う前に、まずやってみる。もし、文句を言われたら、そのときに謝ればいいという正義感に裏打ちされた 覚悟が急成長を続ける米Google社にはある。同社の思考法に例えて、 個人や企業家が成長できる「やる気システム」を構築する様々な具体例を提言。後半部分では、子供たちに明るい社会を受け渡すための方策を提案する。
「おしんルールを創る」、「財界タイガーマスクは素顔で行動する」など、三宅しんごらしいキーワードでまとめた「元気なニッポンヘの処方箋」となる1冊。まさに三宅しんごの目指す、希望を持てる、成長できる、明るく元気な社会のヒントがこの本に詰まっている。
- 「知財戦争」(新潮新書)2004
- 「乗っ取り屋と用心棒」(日本経済新聞出版社)2005
- 「市場と法 いま何が起きているのか」(日経BP社)2007
など多数